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岐阜県大垣市の北西にある金生山(標高217メートル)は、「化石の宝庫」といわれ、全山が石灰岩でできています。一つの山でも地層により黒系、白系、紅系などの様々な石灰岩が採取されます。その中で「美濃黒」は、黒色石灰岩に属する石材です。非結晶質石灰岩ですが、いわゆる石材の「大理石」にあたる石です。磨くと美しい黒光りの光沢を放ちます。石灰岩は、炭酸カルシウム(CaCO3)を主成分にした堆積岩の一種です。耐圧、耐屈、耐伸に優れ、吸水性も小さいのですが、酸に弱いことから光沢がなくなり、みかげ石などに比べると、屋外用にはやや不向きといえます。 | ||||||
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深みのある黒が、「美濃黒」の名前の由来です。表面を磨けば、大理石特有の光沢を発し、いっそう格調高い「黒」が際立ちます。石材サンプルは細かく砕いた小石ですが、赤坂で採石された大石をそのまま使った大作も少なくありません。地元の大理石工芸職人、真淵弥三郎は、明治41年、京都・北野天満宮に奉納した臥牛像もその一つです。足をたたんで鎮座する大きなウシが、ゆっくりとくつろいでいる間に、そのまま石になってしまったような迫力ある作品は、赤坂の石工(いしく)の持つ優れた芸術性と高度な技術を、あますところなく伝えています。屋根の下で雨ざらしにならないうえ、日頃手入れがされていることから、見事に黒光りした美濃黒の大ウシは、いっそうその力強さを感じさせて迫力満点です。 | ||||||
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金生山は、「化石の宝庫」とも、「日本の古生代研究のメッカ」ともいわれます。山の誕生は、二億五千万年〜三億五千万年。古生代ペルム紀(二畳紀)の海中で出来た石灰岩が、海底の地殻変動によって隆起し、小高い山になりました。 東西1.1キロ、南北2.2キロ、標高217メートル。全山が石灰岩でできています。その石灰岩は、魚や貝類、珊瑚礁など数百種に化石を多量に含んでいます。まさに、造化の神によって創られた大理石の展覧会場と思われるほど、世界にも類も見ない生物石灰岩の山です。フズリナ、ウミユリ、サンゴ、貝類の化石の宝庫として、世界的に名が知られています。 含有する化石や、酸化マグネシウム、二酸化鉄などの化学成分の違いによって、美濃黒はじめ、花紋、更紗石、孔雀石、方解石など、地層ごとに色も特徴も異なる様々な石材が誕生しました。金生山化石研究会編の「金生山――西美濃の生い立ちをさぐる」には、赤坂の伝統の大理石工芸を受け継いだ最後の石工、貝沼喜久男さんによる「金生山産石種と化石」と題した原図が掲載されています。昭和初期の金生山を丹念に踏査した労作ですが、その中の南西面と南東面の一角に「美濃黒石帯」「美濃黒石」の文字が見えます。 金生山の石灰岩は、磨けば大理石ですが、焼けばセメントの材料となる石灰になります。戦後の高度成長のもと、一帯では大規模な産業用石灰の製造が行われ、金生山は、まさに「金を生む山」となりました。山は、見る間に削られて、今では元の三分の一の大きさに。もしも時代が異なれば、世界遺産の候補にもなったかも知れない貴重な山が、次第に姿を消していくことに、今なお惜しむ声が少なくありません。 |
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